一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-73

2024-12-24 著者:小山一夫

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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第二図 見跡

序
依経解義、閲教知蹤
明衆器爲一金、体万物為自己
正邪不辨、真偽奚分
未入斯門、権為見跡

経に依(よ)って義を解(げ)し、教を閲(けみ)して蹤(あと)を知る
衆器の一金為(た)ることを明らめ、万物を体(たい)して自己と為(な)す
正邪辯(べん)ぜずんば、真偽奚(なん)ぞ分かたん
未だ斯(こ)の門に入らざれば、権(かり)に見(けん)跡(せき)と為す

頌
水辺林下跡偏多
芳草離披見也麼
縱是深山更深処
遼天鼻孔怎蔵他

水辺林下 跡偏(ひと)えに多し
芳(ほう)草(そう)離披(りひ)たり 見るや也(ま)たいなや
縦(たと)い是れ深山の更に深き処なるも
遼天(りょうてん)の鼻(び)孔(くう)怎(なん)ぞ他(かれ)を蔵(かく)さん
 

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正邪辯(べん)ぜずんば、真偽奚(なん)ぞ分かたん


正邪を判断できないのに、どうして真偽を知ることができようか。


「夫(そ)れ出家というは、須(すべか)らく平常真正の見解(けんげ)を辯(べん)得(とく)して、仏を辯じ魔を辯じ、真を辯じ偽を辯じ、凡を辯じ聖を辯ずべし。」(「臨済録」示衆)。


 見跡で一番大事なところはここだ。例えば、ヨーガの世界でも達人を自称する人が少なくない。真偽の程は別にして、わずかな神秘的体験があった程度でグルを気取っている。そういう人に師事してしまうと後が大変だ。運が悪いと禅病のような偏差になる場合もある。


初期のウパニシャッドが書かれて凡そ2700年、その間ヨーガに限らず、禅、道家、密教、古神道、ジャイナ教、スーフィズム等々で世界各地に無数の聖者が出現している。それらの「跡」を見ると、真理に至る道に関して、技術的にはほとんど極められているといっても過言ではないだろう。内外の天才たちによって、数え切れないほど覚と悟が繰り返されてきた。従って自称達人の言うことが、もし先賢達の体験や理解とかけ離れたものであったらまず疑ってかかった方がいい。その方が無難だと思う。
 


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