2024-12-23 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第二図 見跡
序
依経解義、閲教知蹤
明衆器爲一金、体万物為自己
正邪不辨、真偽奚分
未入斯門、権為見跡
経に依(よ)って義を解(げ)し、教を閲(けみ)して蹤(あと)を知る
衆器の一金為(た)ることを明らめ、万物を体(たい)して自己と為(な)す
正邪辯(べん)ぜずんば、真偽奚(なん)ぞ分かたん
未だ斯(こ)の門に入らざれば、権(かり)に見(けん)跡(せき)と為す
頌
水辺林下跡偏多
芳草離披見也麼
縱是深山更深処
遼天鼻孔怎蔵他
水辺林下 跡偏(ひと)えに多し
芳(ほう)草(そう)離披(りひ)たり 見るや也(ま)たいなや
縦(たと)い是れ深山の更に深き処なるも
遼天(りょうてん)の鼻(び)孔(くう)怎(なん)ぞ他(かれ)を蔵(かく)さん
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仏性はその後、経典成立の過程でさまざまな解釈がなされ、遂には「一切悉有仏性」(衆生つまり人間のみならず自然界の存在全てに仏性があるという考え方)にまで変化していく。この点について古神道では、一霊四魂の一霊は人間だけが持ち、他の動物は四魂のみを有すると考えているので、どちらかといえば「一切衆生は悉く仏性を有する」に近い。
禅宗で用いられる経典は様々であり、また先賢の叡智もはかり知れない。だが表現は異なれども、その意図するところは同じ方角を向いている。
人間の本質を探究する上で、基本的なスタンスは”四(し)威(い)儀(ぎ)(行住坐臥)の禅”だろう。行とは動くこと。住はとどまること。坐はすわること。臥は横たわること。つまり坐禅、立禅、歩行禅、臥禅をベースとしつつ、日常生活の全てが修行だということだ。それによっていつしか、自らが「衆器の一金」であることを知り、さらに万物と同じ質を持っていることに気付く。だが、その日はまだ訪れていない。ここでは、これからどうすべきかを「経」と「教」を通じて知ることが先決だ。