一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-92

2025-01-12 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第三 見牛


序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物

声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず

頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成

黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
 

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この心塵脱落だが、仏教教義からすれば適切だと思う。だが道元は、単なる信仰深き宗教者ではなかった。それこそ命懸けで坐禅に取り組んでいた修行者だった。だから心塵脱落という切り口では満足できなかったのかもしれない。

 

私は、道元は如浄の心塵脱落を知りながら、あえて身心脱落と説いたのだと想う。実践者として、坐禅が何をもたらすかを端的にかつ最も適切な言い回しで語ろうとしたのだろう。

 

もしもこれが「心身脱落」であれば、私も”聞き間違いか”と考えてしまうが、「身心」ということであれば道元の聞き間違いだとは思えない。なぜなら体験的にみて、脱落の起こる順番が違うからだ。「身→心」ならいいが「心→身」の順では、絶対に脱落しない。

 

正法眼蔵で三十七品菩提分法を解説しているのを見てもわかるように、道元は原始仏典に関しても大変造詣が深ったので、その辺りも考慮して「身心脱落」としたのだと想う。

 


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