一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-84

2025-01-04 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第三 見牛


序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物

声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず

頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成

黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
 

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六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)たがうこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず

 

六根の門一つひとつがゆき違うことなく、生命活動の中で顕(あら)わになる。水中の塩分や絵の具に含まれている膠(にかわ)のようなもの。眼を見開けば、まさしく他のものではないことがわかる。


六根とは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五つの感覚機官と思考する心。眼・耳・鼻・舌・身・意のこと。根とは認識機官を意味する。門とは、識への門。著々とは、一つひとつ。無差とは、全く差がない、違いがないこと。動は、覚のこと、思いをそこに寄せること、省察(よく考察すること)。頭々とは、一つひとつ、どこも皆。顕露とは、あらわになるの意。水中の塩味、色裏の膠青とは、あることはわかっていてもそれだけを取り出すことができないことの比喩。膠は、にかわのこと。貶上眉毛とは、眼を見開くこと。

仏性(真我)は、その雰囲気を感覚的にリアルに認識できる。また無為に近づけば近づくほど、生命活動の内に徐々に顕わになってくる。正しく坐禅(瞑想)を続けていれば、段々と自分を取り巻く大気の質的な変化に気付くはずだ。周囲の大気が濃密になり、波立ってくる。そして、身体の中府(鳩尾の辺りを中心とした部分)に内的な圧迫感を感じるだろう。それは中府が虚に近づく前兆だ。真我を中府に鎮めるには、その部分をまず虚の状態にしなければならない。すると、虚となった身体の中府に離遊している真我(仏性)がゆっくりと引き込まれてゆく。そして鎮まるにつれて徐々に圧迫感もなくなってゆき平常に戻ってゆく。
 


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