2025-02-12 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第三 見牛
序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物
声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず
頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成
黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
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次に、この観察を一旦静止して、その余韻を観照する。すると、さらに内外の境がぼけて希薄になり、肉体が周囲の空間に融けてゆくような感覚となる。そしてそれに従って雑念もかなり薄らいでゆく。これこそが、無辺(境をなくして解放する)と無作(相対的な関係を超える)の2法がもたらす皮膚脱落の境地なのだ。
ところでこれと同じような体験が禅の世界にもある。苧坂光龍師家は次のように語っている。
「息を吐くということは自分が天地宇宙の事々物々の中に融け込んでゆくことであり、息を吸うということは、天地宇宙を自己の腹中に収めるとも考えられる。
それは天地宇宙の真理の中に自己が融け込み、また天地宇宙の真理を自己の内に摂取することにもなる。けっきょく一息の中に天地宇宙の真理と交流することになる。
天地宇宙の真理という代わりに、佛という語をおき換えると、われ佛に入り、佛われに入るということになる。これを普通『入我我入』といってきわめて大切な成佛観の一種である。
また出る息が死とすると吸う息は生である。死の時は死の全機現であり、生の時は生の全機現である。道元禅師も『生死の中に佛あれば生死なし』と示されているように、生死ともに全機現となると、単なる生死は解消して生死ともに佛の大生命となる。
すなわち出入の息は生死一如の端的に契合して、数息観・随息観は完全に身心一如の目的を果たすことになる。」(「在家禅入門」)