2025-02-07 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第三 見牛
序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物
声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず
頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成
黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
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この「自然な呼吸を見守る方法」だが、現実にはとても難しい。
なぜなら通常”無意識”で行なっている呼吸だが、もしも見守ってしまうと「自然な呼吸」ではなくなってしまうからだ。従って「自然な呼吸を見守る」ことはほとんど不可能だと思ったほうがいい。ではラーマナは我々に、不可能なことを要求しているのだろうか?いや、そうではない。もっと深く考えてみよう。
先に”アートマンの語源は呼吸だ”と書いたが、それは言うなれば”万物は呼吸するか”というレベルの話だ。つまりこの場合の呼吸とは、生命活動そのものだと言っていい。
従って、ラーマナの言う「自然な呼吸を見守る」とは、自身の生命活動そのものを見守ることに他ならない。つまり前述の”体温、血流、呼吸、細胞の賦活”をありのままに深く見守ることこそ、「自然な呼吸を見守る」ことになるのだ。この随息観は、ヨーガでいうとプラーナーヤーマ(調気法)の基礎力を養成するものだが、それは皮膚脱落を実現するのに必要な力を高めることにもなるだろう。