一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-138

2025-02-27 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第三 見牛


序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物

声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず

頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成

黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
 

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まず有(う)想(そう)三昧と無想三昧についてだが、ヨーガスートラは次のように列挙している。


1.有想三昧  ①有尋三昧 ②有伺三昧 ③有楽三昧 ④有我想三昧
2.無想三昧


佐保田博士の解説によると、八部門の最初の5つは「有想三昧を得るのに障害となるものを取り除く手段でしかない」とあり、後の三部門は「有想三昧そのものを得る直接的な手段」ということだ。ならば、ヨーガの八部門では無想三昧には直接的に到達できないことになってしまう。


しかしながら「ヨーガ行者たちの無想三昧は堅信、努力、念想、三昧、真智を手段として得られるのである。」とも書かれている。幾つか列挙されているうちの三昧、真智ならわかるが、堅信、努力、念想となると、むしろ想を強めることとなり、無想三昧に逆行する様な気がしてならない。凝念、静慮と段階を追って精密に積み上げてきたものが、根底から崩れてしまうように思うのは私だけだろうか。或いは、この堅信、努力、念想は、第2章「自在神への祈念」の前段階として宗教的な要請で後日加筆された、ようにも思える。

 

だが、見方を変えてこの5項目を並列としてではなく、無想三昧に至るための階梯として解釈するならば、ヨーガスートラの八部門に対比させた場合次のようになる。


・堅信~五禁戒、五勧戒     ・努力~坐法、調気、制感
・念想~凝念、静慮       ・三昧~三昧
 


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