一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-139

2025-02-28 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第三 見牛


序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物

声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず

頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成

黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
 

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真智に何を当てはめるかは難しいところだが、このように考えると、結構すっきりする。ところでこの三昧だが、同書には全く別の分類も記載されている。


1.有種子三昧  ①有尋定 ②無尋定 ③有伺定 ④無伺定
2.無種子三昧


ヨーガスートラでは、心が止滅した後に出現するものとして無種子三昧をあげ、最も内奥の領域だと位置づけている。

 

「最後に、この真智をも止めてしまった時、一切の心の作用が止まってしまうから、無種子三昧が出現する。」


この無種子三昧だが、同書に於いて特に説明はなされていない。

ヨーガスートラの技術的範疇を超えた境地である、という表明なのだろう。なぜならこの無種子三昧は、意図して作り出すものではなく、「出現する」とあるように、一定の条件が整った時その結果として自発的に顕れる境地だからだ。
 


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