一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-153

2025-03-14 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第三 見牛


序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物

声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず

頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成

黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
 

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ところで、後述するが、本来の面目が現前に現れても、始めからはっきりと観えるわけじゃない。解像度、大きさ、明るさ、透明度などが不充分だからだ。だが、それが「言逐語の解行を休すべし」によって、かなり改善する。

 

つまり一字一句に拘った仏教教理の理解や信仰等を「休する」ことで、背覚向塵が防げる。すると身心脱落が自然に深まり、その後、本来の面目をより鮮明に目の当たりにすることができるようになる。


道元はこのように自信をもって語っているが、カタ・ウパニシャッドには次のような文章もある。

 

「このアートマンは教えによっては得られない。知性によっても、聖典を広く学ぶことによっても。これ(アートマン、すなわち神)が選ぶ人によってのみ、それは得られる。その人にこのアートマンは自らすがたをあらわす」。

 

どんなに頑張っても選ばれるとは限らないとはややショックな話だが、現実はどうなのだろう。自分が自分を選ばないとは、なんとも情けないが、その答えは前述の「見牛を妨げるもの」のところを参照願いたい。あそこで列挙した項目に該当しなければ、とりあえず大丈夫だと思っていいだろう。あとは努力次第だ。
 


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