2025-03-16 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第三 見牛
序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物
声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず
頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成
黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
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②仏性(真我(プルシャ))を純粋観照する
「見牛」とは、誰が何を見るのか?牛は一体どのように見えるものなのか?
見ることに、どのような意味があるのか?
どうすれば、見ることが可能になるのか?
かつて10代の頃、禅の十牛図を読んだ時にいろいろな疑問が湧いた。その頃は未だ牛の正体がよくわからなかったので考えがまとまることはなかったが、その後修行が進むにつれてたくさんの気付きがあった。
結論として、仏性(真我)は止観によって観照できるということが確認できたし、その観え方には、解像度、輝きの強さ、大きさ、透明度の4種類の側面があることがわかった。ここでは、真我の観え方について解説しよう。
前項で、”止の深まりによって観がより強く働き、また観の境地に浸ることによって止がより深まってゆく”と書いた。アートマンが持つ純粋観照の働きによってプルシャを観照すると言っても、最初からはっきりと観えるわけじゃない。