2025-03-17 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第三 見牛
序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物
声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず
頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成
黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
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カタ・ウパニシャッドにも、「(アートマンは)鏡のなかに(映る像)のように、自己のなかに見られる」とあるが、その続きで三種類の観え方を説いている。それは「夢の中に(あらわれるもの)のように(ぼんやりと)見られる」、「水面に(映る像)のように、(不明確に)見られる」、「影と光(のくっきりとしている白日下)に(あるもの)のように(明確に)見られる」の3パターンだ。
ここでのキーワードは、①ぼんやりと、②不明確に、③明確にだが、これは言わば解像度に他ならない。止に熟達するほどに観の働きが高まり、①から③へと解像度が上がってゆくというわけだ。
カタ・ウパニシャッドはこの点にしか言及していないが、止観に修熟すると、真我(仏性)の輝きに変化が現れてくる。たとえば輝きの強さだ。心身ともに充実している時は、真我の輝きも強い。だが何かで疲労困憊していたり、心配事に悩まされていたりすると、真我の輝きが弱くなる。
結局、真我の輝きの強弱は生命力に関係しているということだ。ただこれは単なる肉体的な生命力ではない。もちろん元気に越したことはないが、ここでは真我自身の持つ力の強さが問われている。