一般財団法人 野萩青少年育成財団
記事一覧に戻る

禅の十牛図 考-170

2025-03-31 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
***********************************************

 

第3章 第四 得牛


序
久埋郊外、今日逢渠
由境勝以難追、恋芳叢而不已
頑心尚勇、野生猶存
欲得純和、必加鞭撻

久しく郊外に埋もれて今日渠(かれ)に逢う
境(きょう)、勝(すぐ)るに由(よ)って以て追い難し、芳(ほう)叢(そう)を恋(した)うて而も已(や)まず
頑(がん)心(しん)尚(なお)お勇み、野生猶(なお)存す
純(じゅん)和(な)を得んと欲せば必ず鞭(べん)撻(たつ)を加えよ

頌
竭尽精神獲得渠
心強力壮卒難除
有時纔到高原上
又入烟雲深処居

精神を竭(けつ)尽(じん)して渠を獲得す
心強く力壮(さか)んにして卒(にわか)に除き難し
有る時は纔(わず)かに高原の上(ほとり)に到り
又煙雲深き処に入って居(きょ)す
 

****************************

 

精神を竭尽するには、感覚を蕩(とう)尽(じん)し意念を断滅しなければならない。

それはまさしく身心脱落そのものであり、仏性(真我)の安定を成し遂げるための必須条件でもある。だが、そこに至る道は険しい。心は強く壮んにして、すぐには止滅させることができないからだ。しかし諦めてはならない。どんなに困難な道でも、良師の指導の元、地道に努力し工夫を重ねてゆけば、いつかは至高なる境地に到ることができるだろう。


もし有形である肉体に、離遊している無形の真我が重なったとしても、それは偶然でしかない。だから容易に再現できなくて当たり前だと思った方がいい。真我を安定させようといくら気張ってみても、残念ながら無駄な努力だ。なぜなら無形なるものに有形的な力技は通用しないからだ。そして、身体の中府へきちんと鎮めるのは、それ以上の難題だ。


再現性がなく、一度観えた真我が突然観えなくなったとしても、道が間違っているとは限らない。真我が安定していないのだから、観えたり観えなかったりするのは当然だ。ここでは見牛で真我を垣間見てから、得牛つまり身体の中府へ安定させるまでのプロセスを詳解したいと思う。
 


元記事