2025-04-28 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第五図 牧牛
序
前思纔起、後念相隨
由覚故以成眞、在迷故而為妄
不由境有、唯自心生
鼻索牢牽、不容擬議
前(ぜん)思(し)纔(わず)に起これば、後(ご)念(ねん)相(あい)随(したが)う。
覚(かく)に由(よ)るが故に以(もっ)て真となり、迷(めい)に在るが故に而(しか)も妄(もう)と為る
境(きょう)に由って有(う)なるにあらず、唯(た)だ心(しん)より生ず
鼻(び)索(さく)牢(つよ)く牽(ひ)いて擬議(ぎぎ)を容(い)れざれ
頌
鞭索時時不離身
恐伊縦歩入埃塵
相将牧得純和也
羈鎖無拘自逐人
鞭(べん)索(さく)時々(じじ)身を離れず
恐るらくは伊(かれ)が歩を縦(ほしいまま)にして埃(あい)塵(じん)に入らんことを
相(あい)将(ひき)いて牧得すれば純(じゅん)和(な)なり
羈(き)鎖(さ)拘(こう)すること無きも自ずから人を逐(お)う
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伊とは、三人称代名詞、万物を調和する人(存在)を意味する。解字としては、伊は、尹(天地の間を調和するさま)+人。得牛の時の「渠」は下から見上げる存在だったが、牧牛での「伊」はもっと高いレベルの働きをもった存在として扱われている。
両方ともにプルシャからアートマンを除いた4要素を指しているが、見処が変わったことで期待される能力の質も異なり、「渠」から「伊」へと変化している。
身心脱落には幾つかのプロセスがあるが、何故かこれまでほとんど話題にされてこなかった。身心脱落を、”身心の煩悩から離れる”とかの信仰的解釈ですませば、本書のような技術書は必要ないかもしれないが、本当は文字通りリアルに体験できるものなのだ。これまでにご紹介した一連の身心脱落法は、実践上とても役立つものだと思うので、良師の指導の元で是非トライして頂きたい。
ところで、真我を観照できなければ、得牛も牧牛も始まらない。だから先ずそこを確実にしないといけない。そして、観照した真我を身体の中府に鎮めたところで得牛が達成されるが、牧牛ではその真我を動かすことが要求される。
どのような力でそれが可能になるのかといえば、それは光輝系の五気に他ならない。ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドにもあるように真我を安定させるのも光輝系五気だし、また動かすのもこの五気ということになると、どうしてもこの光輝系五気を高める必要がある。