一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-213

2025-05-13 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章    第六図 騎牛帰家


序
干戈已罷、得失還空
唱樵子之村歌、吹児童之野曲
身横牛上、目視雲霄
呼喚不回、撈籠不住

干(かん)戈(か)已(すで)に罷(や)み、得失(とくしつ)還(ま)た空(くう)ず
樵(しょう)子(し)の村歌を唱(とな)え、児童の野曲を吹く
身を牛上に横たえ、目に雲(うん)霄(しょう)をみる
呼(こ)喚(かん)すれども回(かえ)らず、撈(ろう)籠(ろう)すれども住(とど)まらず

頌
騎牛迤邐欲還家
羗笛声声送晩霞
一拍一歌無限意
知音何必鼓唇牙

牛に騎(の)って迤邐(いり)として家に還(かえ)らんと欲す
羗(きょう)笛(てき)声声晩(ばん)霞(か)を送る
一拍一歌限り無き意
知(ち)音(いん)は何(なん)ぞ必しも唇(しん)牙(げ)を鼓(こ)せん
 

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人間は生まれた瞬間から死に向かって歩み始める。寿命は多少異なっても、いずれ遅かれ早かれ死ぬわけだが、問題は死ぬ時の真我の状態によって死後の行き先が決まることだ。例えば、生前に離脱してサマディに入る時、その真我の状態(透明度、強さ、大きさ)によって到達できる領域が決まるのと同じだと思えばいい。


禅定つまりサマディにはたくさんの種類(階層)があるが、人間は死後、生きている間に到達できたところまでしか行くことができない。だとすると逆の場合、つまり生前サマディに入れなければ、死後も無理だということになる。釈迦も言っているように、どんなに死後の供養をしたとしても、”浮かばれる”ことはないのだ。何とも残念なことだが、それが真実だ。だからこそ昔から釈迦を始め数えきれない人々が、生前解脱を目指したわけだ。


生前にサマディに入れなかった場合どうなるかは、ここでは言及しない。私は唯、禅定に入る方法だけを語ることにする。
 


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