2025-05-16 著者:小山一夫
原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。
禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
***********************************************

第3章 第六図 騎牛帰家
序
干戈已罷、得失還空
唱樵子之村歌、吹児童之野曲
身横牛上、目視雲霄
呼喚不回、撈籠不住
干(かん)戈(か)已(すで)に罷(や)み、得失(とくしつ)還(ま)た空(くう)ず
樵(しょう)子(し)の村歌を唱(とな)え、児童の野曲を吹く
身を牛上に横たえ、目に雲(うん)霄(しょう)をみる
呼(こ)喚(かん)すれども回(かえ)らず、撈(ろう)籠(ろう)すれども住(とど)まらず
頌
騎牛迤邐欲還家
羗笛声声送晩霞
一拍一歌無限意
知音何必鼓唇牙
牛に騎(の)って迤邐(いり)として家に還(かえ)らんと欲す
羗(きょう)笛(てき)声声晩(ばん)霞(か)を送る
一拍一歌限り無き意
知(ち)音(いん)は何(なん)ぞ必しも唇(しん)牙(げ)を鼓(こ)せん
****************************
老子が道徳経に於いて「道可道 非常道(道の道とす可きは常道にあらず)」と説いているように、真理の核心を言葉で伝えることは不可能だ。まさに不立文字ということだろう。
このような”沈黙の伝承”に似たものは、仏教のみならず、ヨーガ、丹道、古神道等にも多く見ることができる。私も数百回体験したが、一対一のエネルギー(神気や真気)のやり取りを通して、静寂の内に、無言の伝承が行なわれる。私事ながら、かつて修行中に、質問に対し何も答えないうちに、師から「それで結構です」と合格を貰ったことが何度かあった。言葉で返答しなくとも、沈黙の内に”応えた”わけだ。ということは言い換えると、それがわかるレベルでなければ指導する側に立てないということにもなる。