一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-221

2025-05-21 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第七図 忘牛存人
序
法無二法、牛且為宗
喩蹄兎之異名、顯筌魚之差別
如金出鉱、似月離雲
一道寒光、威音劫外

法に二法無し、牛を且(しば)らく宗と為す
蹄(てい)兎(と)之異名に喩(たと)え、筌魚(せんぎょ)之差別を顕わす
金の鉱を出ずるが如く、月の雲を離るるに似たり
一道の寒光、威(い)音(おん)劫(ごう)外(げ)

頌
騎牛已得到家山
牛也空兮人也閑
紅日三竿猶作夢
鞭縄空頓草堂間

牛に騎(の)ってすでに家山に至ることを得たり
牛もまた空(くう)じ人もまた閑(しずか)なり
紅(こう)日(じつ)三(さん)竿(かん)、猶(な)お夢を作(な)す
鞭(べん)縄(じょう)空しく頓(さしお)く草堂の間
 

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法に2法はない。仮に牛を”中心となるもの”と捉(とら)えていただけだ。言葉に囚われなければ真実が見えてくる。それはあたかも金が金鉱から掘り出され、月が雲から離れるのに似ている。一筋の輝く光が、宇宙の根元から発している。

且らくとは、とりあえず、仮に。宗とは、中心になるもの、完成、一致、言葉で表現できない究極の真理。

蹄とは、兎などを捕まえる時に仕掛けるわな。

筌とは、竹を編んでつくった漁具、水中に沈めて使う。

蹄と筌に関わる話は、「荘子」雑篇外物第二十六に出てくるが、

「言は意に在る所以、意を得て言を忘る。吾、安にか夫の忘言の人を得て、之と興に言わんや、と。」

(言葉は思考を伝達させるもの、以心伝心ができれば、もはや言葉は忘れてしまう。

そのような人を得て、共に語り合いたい)と続く。

一道とは、ひとすじの。寒光とは、月光もしくは黄金の光、輝光、透明な光。

威音劫外とは、天地創造以前、宇宙の根元。
 


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