一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-238

2025-06-07 著者:小山一夫

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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第八図 人牛倶忘


序
凡情脱落、聖意皆空
有佛處不用遨遊、無佛處急須走過
兩頭不著、千眼難窺
百鳥含花、一場懡*

凡(ぼん)情(じょう)脱落し、聖(しょう)意(い)皆空ず
有(う)仏(ぶつ)の處、遨(ごう)遊(ゆう)することを用いず
無(む)仏(ぶつ)の処、急に須(すべか)らく走過(そうか)すべし
両頭に著(じゃく)せずんば、千眼も窺(うかが)い難(がた)し
百鳥華を啣(ふく)む、一場の懡(も)*(ら)

頌
鞭索人牛盡屬空
碧天遼闊信難通
紅爐焔上爭容雪
到此方能合祖宗

鞭索(べんさく)人(じん)牛(ぎゅう)、尽(ことごと)く空に属す
碧天(へきてん)遼(りょう)闊(かつ)として信(しん)通じ難し
紅(こう)爐(ろ)焔上(えんじょう)、争(いか)でか雪を容(い)れん
此(ここ)に到って方(まさ)に能(よ)く祖宗に合(かな)う
 

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また、”死後に供養すれば大丈夫”という考えも残念ながら正解とは言えない。

確かに神道でも神葬祭等により死霊が浄化されて祖霊となるが、最初に行った世界(領域)から別の処に転移することはない。その世界(領域)の中でより良い状態になるだけで、解脱するわけではない。


ともあれ入滅に際し、魂魄を分離した上で神我に到達するにはどうすればよいのか?結局、釈迦は手探りで一つひとつ確認するかのようにステップを進め、そして最後に第四禅からニルヴァーナへ入られたのだと思う。これは、釈迦にとっても初めての挑戦だったことを示している。


彼岸と涅槃は悟りの境地としては近いものだとは思うが、その目的と前提条件が異なるために、スッタニパータでは彼岸を、そして大パリニッバーナ経では涅槃を、そのゴールとしたのだろう。なぜなら「ブッダ最後の旅」の終着点は、帰還可能な彼岸ではなく、肉体の死を伴う涅槃でなければならなかったからだ。
 


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