一般財団法人 野萩青少年育成財団
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ヨーガスートラ 考-12

2025-07-21 著者:小山一夫

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ヨーガスートラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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<参考>

 

*『一切の戒律や誓いをも捨て、(世間の)罪過あり或いは罪過なきこの(宗教的)行為をも捨て、「清浄である」とか「不浄である」とかいってねがい求めることもなく、それらにとらわれずに行え。……安らぎを固執することもなく。』 (「スッタニパータ」900)


戒律や誓いだけでなく、「安らぎ」すらもこだわりの対象であってはならないということです。「自然無為」と言いますが、この「無為」の意味をよく考えるべきでしょう。

*「ナンダよ。これらの<道の人>・バラモンたちはすべて、(哲学的)見解によって清浄になり、また伝承の学問によっても清浄になると説く。戒律や誓いを守ることによっても清浄になるとも説く。(そのほか)種々のしかたで清浄になるとも説く。たといかれらがそれらにもとづいてみずから制して行っていても、生と老衰とを乗り超えたのではない、とわたしは言う。」(「スッタニパータ」1080)

「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆われている』と説くのではない。この世において見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究め明かして、心に汚れのない人々、……かれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』と、わたしは説くのである。」(「スッタニパータ」1082)

止観は「止」から始まります。この「止」を実現する為には、宗教的な固執をも捨てなければなりません。信仰や戒律などの宗教的な要請に自縛していたら、ヨーガの完成は不可能なのです。
 

 


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