一般財団法人 野萩青少年育成財団
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ヨーガスートラ 考-33

2025-08-11 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

ヨーガスートラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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7.静慮(dhyana)ヂャーナ


「静慮とは、同一の場所を対象とする想念がひとすじにのびていくことである」(ヨーガスートラ3-2)


佐保田博士は「凝念によって一点に凝結された意のはたらきが、今度はのびのびと、しかし整然と、あるひとつの対象を中心として伸転してゆくのが静慮である。(中略)凝念は集中的であるのに対して、静慮は拡大的である。」(P116)と述べられています。

つまり、エネルギーの向かう方向性が正反対と言うことです。


静慮とは、いわば凝念である特定の対象に集中していた心がそれを中心として、広くそして深く、自由に展開されていく状態ですから、凝念の延長線上に素直に並んでいるわけではありません。方向が反対なので、凝念を頑張れば自動的に静慮に至ることはないのですがこれはあくまでも技術的な話です。


博士は「静慮は凝念の延長線上にあって、その間に断絶はない。凝念のときと同一の場所を対象とする想念の流れが中断することもなく、ひとすじに伸転していって静慮に転入して行くのである。」(P116)と述べられていますが、それも考え方としては基本的に正しいと思います。


細かな言葉のアヤは別にしまして、根幹となる部分については概ね同感です。特に「転入」という語句の使い方は絶妙だと思います。
 


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