一般財団法人 野萩青少年育成財団
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ヨーガスートラ 考-41

2025-08-19 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

ヨーガスートラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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ヨーガスートラは、この三昧について2グループ挙げています。
その理由を考えることは、ヨーガの本質を知る上で大きな意味を持ちます。

まず有想三昧と無想三昧について。
ヨーガスートラは次のように列挙しています。(1-17)(1-18)


1.有想三昧
 ①   有尋三昧
 ②   有伺三昧
 ③   有楽三昧
 ④   有我想三昧


2.無想三昧


博士の解説によりますと、ヨーガ八部門の内の最初の5つは「有想三昧を得るのに障害となるものを取り除く手段でしかない」とあり、後の三部門は「有想三昧そのものを得る直接的な手段」ということです。
ならば、ヨーガの8部門では無想三昧には直接的に到達できないことになってしまいます。

しかしながら(1-20)で「ヨーガ行者たちの無想三昧は堅信、努力、念想、三昧、真智を手段として得られるのである。」と書かれています。


幾つか列挙されているうちの「三昧」「真智」ならわかりますが、堅信、努力、念想となりますと、むしろ無想三昧に逆行する様な気がしてなりません。


凝念、静慮と段階を追って精密に積み上げてきたものが、根底から崩れてしまうように思うのは私だけでしょうか。


或いは、この堅信、努力、念想は、次の「自在神への祈念」の前段階として、宗教的な要請で後日加筆された、ようにも思えます。

ですが見方を変えてこの5項目を並列としてではなく、無想三昧に至るための階梯として解釈するならば、ヨーガスートラの8部門に対比させた場合次のようになります。


・堅信~五禁戒と五勧戒
・努力~坐法と調気
・念想~制感と凝念
・三昧~静慮と三昧。


静慮を念想に入れるかどうかと、真智に何を当てはめるかは難しいところですが、このように考えますと、結構すっきりすると思います。
 


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