2025-08-28 著者:小山一夫
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ヨーガスートラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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博士の解説(1-3)によれば次の通りです。
「真我は客観的対象をただ見ているだけの純粋な観照者なのである。心理現象は、自性から展開した無意識性の心理器官の変容の上に真我の純粋意識性、または照明が映った結果生じたのである。真我自体は独立自存の絶対者で、時間空間の制約をうけず、つねに平和と光明に満ちた存在である。これが各個人の真我の本来の在り方なのであるが、この真我が、自性から展開した客観的な存在と関係した結果、自己本来の姿を見失って、自分がいろいろな苦を実際に受けているかのような錯覚におちいっているのが、われわれの現状である。この錯覚をどうしたら取り去ることができるか?ここにヨーガの課題がある。つまり、ヨーガのねらいは、真我の独存を実現するにある。これがサーンキャ哲学の考える解脱である。」
つまりヨーガスートラに於いては、この「錯覚」を除去する為の技術がヨーガに期待されているわけです。ですから錯覚除去の手段として「心の作用を止滅すること」が要求され、それに基づいて8部門のカリキュラムが組み立てられているのです。
しかしながら、これらは全て「真我と自性」という二元論的多元論の形而上学を根拠としていますので、もしもその仮定が真理でなければヨーガスートラの考え方は根底から崩れることになります。
先にヨーガスートラの最初の二句をご紹介しましたが、まず心の作用を止滅することによって錯覚を排除し、苦からの解放を得ます。そして純粋観照者である真我が、自己本来の状態にとどまることで、解脱を達成するわけですが、これら「永遠に相容れず、互いに独立した形而上学的原理」は最後まで合一・融合することはありません。
そうしますと、真我の方は生き物の数だけあるにもかかわらず、各々があくまで純粋観照者として独存するだけで、他者との関係を一切持たない事になります。