2025-09-24 著者:小山一夫
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ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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カースト制度と宗教によって「目を閉じること」を強要された当時のインドに於いて、釈迦は“目を開けること”を説いたのだと思います。
もしも目を開けることができれば、もはやりんごがあると信ずる必要はありません。あるかないかを自分の目で確認できるからです。
信じようと信じまいと在るものは在るし、無いものは無いのです。
信仰とは眼を閉じることを意味し、それはむしろ「目を開ける」事を妨げます。
あるがままをみつめ、真理に目覚める為には、文字通り目を開けなければなりません。禅では悟ることを「見性」といいますが、まさにその通りです。
釈迦の説く八正道とは「目の開き方」であり、信仰を捨てる為の具体的な方法だと思います。釈迦に宗教の衣装を着せる人たちは、八正道の中に「正しい信仰」というのが無いことに気づくべきです。
釈迦は新しい宗教を作ったのではなく、宗教それ自体の在り方を否定したのだと思います。
宗教が階級制度を作り出し、それによって多くの民衆が苦しんでいるのを目の当たりにしていたのですから。(あるいは階級制度を維持する為に都合のよい宗教が作られたのかもしれません)
先にヨーガは「結び」を意味すると述べましたが、問題は「何と何を結ぶのか」ということです。この部分をシヴァ神への偶像崇拝などの宗教色で誤魔化してしまうと、タントラ、ヨーガともに本来の効果は期待できません。
信仰なきヨーガこそ、その秘められた力をよびさます要件なのだと思います。