一般財団法人 野萩青少年育成財団
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ヨーガスートラ 考-57

2025-09-04 著者:小山一夫

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ヨーガスートラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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ここでは、サマディに至るプロセスとテクニックについて、かなり詳細に解説したつもりですが、私のサマディ観は「真我と自性」等の特定の宗教的世界観に縛られるものではありません。なぜなら「目を開けてみなければ」本当のことはわからないからです。


この「目を開ける」技術こそ本来のヨーガであるべきだというのが私の認識です。
そして真に目を開けたとき、そこに何が待っているのか、何が起こるのか、その答えは自らの力で得るべきで、他人に与えてもらうものではありません。ですから「信仰を捨てる」ことが真理探究の第一歩なのです。

釈迦は次のように語っています。
「アーナンダよ。今でも、また私の死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、かれらはわが修行僧として最高の境地にあるだろう、-誰でも学ぼうと望む人々は-。」(「ブッダ最後の旅~大パリニッバーナ経」第2章26岩波文庫)

「法」とは、伝承や学問で得るものではありません。
適切な技術と、真摯な探求を通して自ら体得すべきものであり、だからこそ「よりどころ」となるのです。


人間が造りだした宗教的世界観に基づく「真理」(?)への依存からの脱却、そして盲目的信仰に起因する思い込み型「安心」の放棄は、真の自由を得るための最初の課題です。あてがいぶちの教義に自縛されるのは、もう卒業しようではありませんか。
 


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