2025-11-22 著者:小山一夫
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ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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「かくのごとく気息と唵と雑多の万有とを結合するが故に、あるいは自らに検束を加えるが故に瑜伽(結合)という。」(25)
「気息と意と、さらに諸官感の合一、一切存在の捨離、これを瑜伽という。」(25)
「一書に説いていう」として(「ウパニシャッド」P286)
「喩えば漁人が網を以って魚介を引き上げ、これを腹中の火に捧げるように、これらの諸生気を唵音を以って引き上げ、これを無病なる火に捧げる。この火は熱したる土器に譬えられるべきものである。あたかも熱した土器に入れられた酪は草木に触れて燃え上がるように、かの生気なるもの(自我)と呼ばれるものも、生気に触れて燃え上がる。その燃え上がったものは梵の形相であり、毘紐笯(ビジュヌ)の最高境地であり、楼陀羅(ルドラ)神の本質である。」(26)
ここでは、瑜伽に結合の役割を持たせています。
アイテムとしては「気息と唵と雑多の万有」、「気息と意と、さらに諸官感」ということですが、よく読みますと、それによって「一切存在の捨離」を実現するわけです。ですからヨーガスートラの説く「心の作用を止滅する」ためのプロセスとしての結合ということになります。
また、「諸生気を唵音を以って引き上げ」とあるように、生気の制御もまた唵の操作によって行ないます。先の例でもそうですが、唵によって真我を、また諸生気を運転活用するためには、そのための特殊な技術を別途修練し、完全に身につけなくてはなりません。そうでなければ、ただの思い込みだけで何の成果も得られないでしょう。これは師伝に従い、有声・無声の両方で鍛錬することになります。