2025-11-21 著者:小山一夫
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ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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スシュムナーに生気が通り虚を体得すれば、いわゆる中空の竹となります。
このときスシュムナーは我身の内部だけの存在ではなくなり、無とのリンクが確立した状態となります。
そこで「脈管に気息と唵と意とを加え」て、真我を「上方に登」らせることによって、能動的な形で空を体得しますが、この段階ではまだ無との合一を果たすことはできません。これはある意味無我の境地と言えますが、まだ独存の境地ではないからです。なぜなら無の領域に繋がった程度のところだからです。
また、「舌端を反転して」云々とあるのは、スシュムナーに生気が通り中空の竹を作るときには役立ちますが、そこから先は不要です。
「一書に説いていう」として(「ウパニシャッド」P285)
「静慮の対象として二つの梵がある。声としての梵と無声としての梵とである。声によって無声の梵は顕わにされるのである。さて、『唵』はその中の声としての梵である。これ(唵)によって上方に登れば、終に無声梵の中に消融する。(中略)かの瑜伽行者も唵音を静慮することによって上方に登り、遂に自主の境地を得る。」さらに続けて、「他の声論師の為す所はこれとは異なっている。(中略) 彼らは拇指を以って両耳を掩い、心臓内の虚空の音を聴く。その音には七つの類似音がある。(中略) この特殊性を超えて、至高、無声、未顕現の梵の中に沈没し去る時は、個体性なく、別異性なきことあたかも種々の精味が一味の蜜に成り切った如くである。」(22)
「これ(唵)によって上方に登れば、終に無声梵の中に消融する」という部分はまさに圧巻です。
唵を用いて「上方に登る」時には、有声、無声共に特殊な発し方が必要になりますが、それ以前に、ここでの課題が二つあります。
それは中空の竹を作れるようになることと
振動の制御とともに真我を動かせるようになること、です。
さらにその二つを実現できたとしても、昇と降では正反対の方法になりますので、それらを正確に修得することが求められます。
ここで間違えますと、昇降共に目的を達することはできません。
「無声梵の中に消融する」には、ここにひとつの技術的な壁があるのです。
「この特殊性を超えて、至高、無声、未顕現の梵の中に沈没し去る時は、個体性なく、別異性なきことあたかも種々の精味が一味の蜜に成り切った如く」ですが、これこそ無との邂逅の初期段階だといってよいでしょう。「消融」という過程を実に上手く表現しています。