2025-12-11 著者:小山一夫
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ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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このように、強烈な光輝が見えているうちは、無との合一はまだ達成できていません。
当初私もそれを確認する為に何度も出入を繰り返しましたが、「真の本性」(=無)から離れると光輝が見え、無と合一するとその瞬間から見えなくなりますので、その点についてもラーマナ・マハーリシ師の主張は正しいと思います。
「サマーディそのもののなかにはただ完全な平和だけがある。サマーディが終わろうとするとき、心は息を吹きかえす。そしてサマーディのなかの平和を思い出したときに、至福が訪れるのである。帰依や献身のなかでは至福がはじめに現れる。それは歓喜の涙、毛が逆立った状態、声が上ずった状態として表れる。そしてついに自我が死に絶え、サハジャが起こるときには、これらの兆候も恍惚状態も消え去るのである。」(「あるがままに」P281)
このサハジャとは、サハジャ・ニルヴィカルパ・サマーディのことです。
サハジャとは「自然」を、ニルヴィカルパとは「違いのない」を意味します。
同書によれば、このサマーディは、次のように定義されています。
「原初の、純粋な、自然な状態のなかに努力を要せずとどまっていること」