一般財団法人 野萩青少年育成財団
記事一覧に戻る

タントラとヨーガ 考-87

2025-12-11 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
***********************************************

 

  

 

このように、強烈な光輝が見えているうちは、無との合一はまだ達成できていません。
当初私もそれを確認する為に何度も出入を繰り返しましたが、「真の本性」(=無)から離れると光輝が見え、無と合一するとその瞬間から見えなくなりますので、その点についてもラーマナ・マハーリシ師の主張は正しいと思います。

「サマーディそのもののなかにはただ完全な平和だけがある。サマーディが終わろうとするとき、心は息を吹きかえす。そしてサマーディのなかの平和を思い出したときに、至福が訪れるのである。帰依や献身のなかでは至福がはじめに現れる。それは歓喜の涙、毛が逆立った状態、声が上ずった状態として表れる。そしてついに自我が死に絶え、サハジャが起こるときには、これらの兆候も恍惚状態も消え去るのである。」(「あるがままに」P281)

このサハジャとは、サハジャ・ニルヴィカルパ・サマーディのことです。
サハジャとは「自然」を、ニルヴィカルパとは「違いのない」を意味します。
同書によれば、このサマーディは、次のように定義されています。


「原初の、純粋な、自然な状態のなかに努力を要せずとどまっていること」
 


元記事