2025-12-14 著者:小山一夫
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ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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ところで師は前述したように「サマーディそのもののなかにはただ完全な平和だけがある」ということですが、サマディでは一体どのような状態になるのでしょうか。完全な平和とはどのような感触なのでしょうか。
「サマーディに入ろうとするときに起こる恐怖と身体の震えは、わずかな自我意識がいまだに残っているためである。だが、自我が何の跡形もなく完全に死に絶えるとき、人はただ至福だけが広がる純粋な意識の空間にとどまる。そして震えも消え去るのである。」(P281)
普通に考えますと「完全な平和」と「恐怖と身体の震え」とは矛盾するように思いますが、師が説かれるように「恐怖と身体の震え」の彼方に完全な平和が広がっているのです。
実は、この一文を読んだ時に、私はラーマナ・マハーリシ師のすごさを感じました。もしもはじめから至福だの歓喜だのといわれたら、師の本など真剣に読み込みはしなかったと思います。でもこれを見た瞬間に師の偉大さを直感しました。これは悟りの深さを証明するもっともリアルな体験に属します。
神道の祝詞に必ず出てくる語句があります。
それは「恐(かしこ)み恐み」「畏き(かしこき)」などのようなフレーズで、「恐」「畏」といった漢字が並びます。
これは神道の神がバチを当てるとかで、書かれているわけではありません。神道の最終境地は、神人合一と即身化神です。つまり究極的なタントラのサマディとほぼ同じなわけですが、その境地に至る過程で「ある種の恐れ・畏怖」を体験するのです。
そして完全な即身化神(=無との融合)となりますと、今度は一切の「恐れ・畏怖」は消失します。この一連のプロセスは、正しい方法で修行する時に共通する悟りの階梯なのです。