一般財団法人 野萩青少年育成財団
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タントラとヨーガ 考-157

2026-02-24 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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存在論や神観の変更は、その技術の方向性や組み立てをその根底から覆すことになります。礼拝する対象を阿弥陀如来から不動明王に変える様な話ではないのです。この点について20年前くらいにかなり頭を痛めたのですが、その後私なりの考えをまとめました。

 

ヨーガに信仰や宗教の教義を持ち込むから、それらの整合性に悩むわけで、もしヨーガを単なる技術として受け止めるならば、それらに煩わされることはないということです。

私の場合、具体的にどうしたかといえば、当時既にチャクラやクンダリーニ、空や虚、そして無との合一・融合を、ある程度体得していましたから、他の説にとらわれることなく、自らそれらを精査して自分なりの結論を見つけることに致しました。


特定の団体の修行に拘っていたら、広い視野が持てないので中々難しいと思いますが、私の場合は幸いにいろいろなことをやってきましたので、個々に固執することなく自由な発想ができました。そしてある程度自分の中でまとまってから、私と同じ体験をし、同じ様に考えた先人はいないかと、多くの文献にあたり、また内外の達人の方々をお尋ねしましたが、ヨーガに限らず道家や武術などでも何人もお会いするできました。それによって自分が選んできた道が誤りでなかった事を確認すると共に、達人の方々に親しく学ぶ機会が得られたことが何にもまして嬉しかったです。

元来疑り深い性格のため、私は人から与えられるがままに、何かを盲目的に信ずることができません。すべて自ら体験しませんと納得できないのです。ですから他人がつくった宗教や信仰も素直に受け入れることはできません。今回はそのような性格が幸いしましたが、結局どのような理解に至ったのかをご説明したいと思います。
 


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