2026-02-25 著者:小山一夫
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ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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私の結論は、
分離から合一・融合というプロセスが最も納得できるということです。
先ず分離の為に、個の内にムスビを確立し、真我の安定を得ます。そして、心の作用の止滅と、純粋観照者の出現を以って真我を独存させます。そして次に、無との合一を経て、無種子三昧へ向けて融合に進みます。
また、神観については、有神論無信仰のスタンスに落ち着きました。
ただこの場合の神の性質は、キリスト教やイスラム教、道教、仏教、神道などの神観とは異なります。唯一、明治時代の先人が遺した次の考え方に共鳴するものです。
「神の黙示は乃ち吾が俯仰観察する宇宙の霊力体の三大を以てす。
一、天地の真象を観察して真神の体を思考すべし。
一、万有の運化の毫差無きを以て真神の力を思考すべし。
一、活物の心性を覚悟して真神の霊魂を思考すべし。
以上の活経典有り、真神の真神たる故由を知る
何ぞ人為の書巻を学習するを用ひむや。唯不変不易の真鑑実理あるのみ。」
特に最後の「唯不変不易の真鑑実理あるのみ」という部分には、思わず襟を正してしまうような厳しさを感じます。そのスタンスならば当然「何ぞ人為の書巻を学習するを用ひむや」ということになるでしょう。
信仰なき求道とは、自分自身と大自然、無との間に何一つ介在させないことが基本だと思います。
自然無為の世界こそ、意識に真の解放をもたらし、何一つ作為や余分なもののない境地なのです。
これは信仰ではなく自らの体験の積み重ねによって得た結論です。
ですから本書を読まれる方が、私の神観に関する結論をそのまま受け入れないことを願っています。なぜならそれではその方にとって信仰となってしまうからです。
原始仏典で釈迦が述べているように、「信仰を捨て去る」ことから始めなければ、自然の美しさすらも色眼鏡で見てしまうことになるでしょう。
自分の鼻で呼吸をし、自分の足で歩くこと。
自分で体験したことから学び、自分の力で自らの本性を知る。
他を盲信するのではなく、真実を見るために、
自らの「目を開ける」ことの大切さをご理解頂ければ幸いです。
信仰無きヨーガの世界は
とらわれのない真の自由を得るためのものなのです。