2026-03-22 著者:小山一夫
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昔書いた日記からいくつかアップします。
2002-10-10
火生三昧-1
「火生三昧」とは真言密教の「火渡り修行」を意味する。
醍醐寺三法院にはふたつの流れが伝えられている。
ひとつは一般の僧侶の修行。これは得度を受け四度加行などを経て僧侶への道を進むもので、荒行などは殆んど行なわない。通常はそのまま僧侶の資格をとり、寺院に就職するか家業をついで寺院の経営者となる。
もうひとつは修験道の修行。この修験道は1799年光格天皇より「神変大菩薩」の諡号を受けた役行者こと役小角を開祖と仰ぐ。役小角入滅後、醍醐寺開山聖宝(831-909)が、大峰山を巡歴し、役小角の精神の観見を融合、つまり霊的相承によって秘法を受け、後世に継承した。この秘法は「恵印三昧耶法」といい、7段階の修法によって構成されている。
私は、学生の身ながら、即断でこの修験道に入門した。お堂の中で延々と真言を唱える事では到底満足できないと思ったからである。それからの3年間私は生死の境を彷徨うような荒行に没入していった。その荒行が例えば断食であり、滝行、火生三昧などなど普通に生活していたらまず味わえないような体験の連続だった。論語に「朝に道を聴けば、夕べに死すとも可なり」とあるが、まさにその心境に他ならなかった。
この火生三昧は醍醐寺系修験では毎月のように全国各地で行なわれた。私も可能な限り参加したが、最初はあまりの火勢に驚いたものだ。火のそばに近寄る事さえ躊躇するくらいの熱気だったからだ。腰あたりまで燃え盛る火の中をゆっくりとひとりづつ素足で5メートルほど歩いてゆく。そしてついには数人で神輿を担いで火中を走り回る。
どちらかと言えば、ひとりで歩く方が格段に熱い。殆んどの行者達は火傷をしていたが、私は一度も火傷しなかった。先達曰く、「集中が途切れると火傷を負う」と言っていたので、恐らくヨーガで鍛えていたのが役立った違いないとその頃は考えていた。