2026-03-14 著者:小山一夫
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昔書いた日記からいくつかアップします。
2002-9-6
日本におけるクンダリーニ・ヨーガの系譜-1
1977年夏、山手線の車中にて。
「すみませんが、おおえまさのり先生でしょうか?」躊躇しながらも、対面に座り瞑目していた青年に尋ねた。彼は長髪で髭を伸ばし色褪せたオレンジ色の服を着ていた。首に数珠のようなものをかけていたのが印象的だった。その前年の1月に2000部限定で出版された「チベットの偉大なヨーギー ミラレパ」という立派な経典仕様の本を読んでいた私は、何かの雑誌で見たおおえ氏の容貌をうっすらと記憶していた。彼は苦笑しながら否定した。
そんなことから会話が始まったのだが、渋谷駅につく頃にはにこやかに再会を約束していた。彼の名は星川淳、スワミ・ブレム・プラブッダという方が広く知られているかもしれない。バグワン・シュリ・ラジネーシ(後のOSHO)の著作を日本で始めて翻訳した人物である。思いつくままにあげると、「存在の詩」、「究極の旅」、「TAO永遠の大河」などがある。
特に「存在の詩」は各界で高い評価を受けた名著(名訳)だ。後に、いろんな方々がバグワンの翻訳に取組まれたが、星川氏の訳にはそれらと明らかに一線を画す詩的な<輝き>がある。早速「存在の詩」を買って読み始めたが、今までに触れたことのない異空間に彷徨い込んだような感じがした。当時伝統仏教(真言宗醍醐派)とクンダリーニ・ヨーガに集中していたので、あの様な切り口に対して余計に斬新な気がしたのだろう。
星川氏とは懇意させて頂いたが、それは彼が日本人として最初のバジアン師の弟子だったからだ。誘われるままに、西荻窪のホビット村で星川氏が開いていた瞑想教室にも何度か通ったが、どうしてもバグワン式の瞑想には馴染めなかった。ただ彼を通して日本における3HOの歴史を知ることになったのはありがたかった。
他の宗教団体との関わり等ここでは書けない話もあるが、結論を言えば、その様な団体が発信している内容(宣伝)には事実と異なる点が多々ある。バジアン師の名前を利用して自らの格付けに使おうというわけだ。いずれにしても、星川氏との出会いはとても興味深いものだった。
星川氏は74年にバグワンと出会い、インドのプーナに長く滞在された。(数年後にバグワンから離れる事になる)彼から聞く生のバグワン像にもとても興味があったが、それ以上になぜバジアン師の元から離れたのかが知りたかった。