2026-04-15 著者:小山一夫
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昔書いた日記からいくつかアップします。
2002-9-25
小野田寛郎先生
昨夜小野田寛郎先生ご夫妻とお会いした。
若い方々はご存知ないかもしれないが、戦後史に残る実に大変な人物である。
第二次世界大戦について多少なりとも智識のある方は、陸軍中野学校出身というだけで、「えっ」という事になるだろう。 なぜならば、陸軍中野学校とは特殊諜報部門のエキスパートを養成する陸軍最高の秘密機関だったからだ。 つまり筋金入りの帝国陸軍軍人として彼は戦後30年間もルパング島で戦いをやめなかったのである。 昨夜はとても公に出来ない陸軍中野学校の秘話を色々お聞きした。ご本人の了解を得ていないのでここで書く訳にはいかないが、歴史の裏舞台というか、驚くべき世界史の秘話の数々を伺い、とても充実した一日を過ごすことが出来た。
来月早々に再びお食事をご一緒させて頂く約束をしてお別れしたが、いまから楽しみで待ち遠しい限り。
ちなみに小野田先生の御本はこちらを参照願いたい。下の本は、小野田夫人の書かれたものだ。夫人の町枝さんは小野田先生の戦友の紹介でご縁が出来、ブラジルでご結婚。開拓移民として言葉に出来ないようなご苦労をされた。今回、其の一部をこの本でご紹介されているが、一読の価値ありといいたい。
「彼の鋭く光る目に、あんなにも潔くて、強い信念の持ち主が、この世の中に存在していたことが私には不思議に感じられた。 私の心はその強さにひきつけられていた。
ー この人のためなら私は死ねる ー
手の届く筈のない、遠い遠い人への思いだったが、それが私の命を賭けた人生の始まりとなった。」(『私は戦友になれたかしら』”はじめに”より)
「論調では(私は)『軍人精神の権化』か『軍国主義の亡霊』かのどちらかに色分けされていた。私はそのどちらでもないと思っていた。私は平凡で、小さな男である。命令を受け、死に残っただけの、敗軍の兵である」(『たったひとりの三十年戦争』)
現在小野田寛郎先生は福島県東白川郡塙町で、財団法人 小野田自然塾を開かれている。大自然の中で子供たちに生命の尊さ、自然の恩恵・偉大さ・尊厳と怖れを教えたいという趣旨だそうだ。お子さんをお持ちの方々は是非参加を検討されたらいいだろう。