2026-05-12 著者:小山一夫
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昔書いた日記からいくつかアップします。
2003-2-2
タントリック・ヨーガ-7 性瑜伽の導入-5
従来ヒンドゥーでも性に対しては寛容であったが、性瑜伽を教義の柱に立てることはしていなかった。その意味では仏教のオリジナリティが発揮されたといってよいが、今度は実践行法と理論との整合性のみならず、戒律やサンガの在り方など仏教を支える全てにわたってとてつもなく大きな難題を課せられた。
たとえば、ナロパは性瑜伽を学ぶ為にナーランダー大僧院の僧院長を辞し、還俗して一介の漁師出身の成就者ティロパに師事するが、従前の戒律と性瑜伽修行の問題はついに数百年解決することなく、ツォンカパの時代まで論争が続くことになる。
性瑜伽を基軸とした後期密教は、経典を文字通りに解釈した場合その内容の特殊性から、釈迦の時代から綿々と続いた戒律や出家制度を破壊すると共にサンガの在り方をも否定してしまう。それはもはや釈迦に繋がる仏教ではなくなることを意味する程に深刻な難題だった。
結局それ以後のインド仏教は矛盾に苦しみながらも、密教が暫くの間盛んになるが、12世紀末頃を最後にインド仏教は消滅してしまう。現象的にはイスラム教により滅ぼされた様に見えるが、それは最後の炎を吹き消されたに過ぎず、私は仏教が後期密教化したこともインド仏教滅亡の大きな理由だと思わざるおえない。つまり釈迦に始まる仏教本来の存在意義がなくなったからではないだろうか。
アティーシャの『菩提道灯論』は小乗から密教までの全仏教をひとつの価値観で評価し、更に密教を仏教が最も発展した姿だと主張した。チベットではそのアティーシャの思想がそのままチベット密教の優位性を確認する自信へとつながっていったが、当初インドでは、7~8世紀にかけて理趣経に始まり秘密集会タントラに至る過程では、従来の形の仏教と理論的に整合させて、かつ説得力のある哲学的組み立てをその実践面と併せて構築する作業は、まさに仏教の浮沈をかけた危険な賭けでもあった。
結果としてインドではその賭けに敗れ、チベット密教では辛うじて勝ったという事になるのだろう。チベット密教は後に元から経済・政治両面の擁護を受けるほどに発展したわけだから。いずれにせよ、どんなに奇麗事を並べても、宗教は社会的な存在であり、経済的な裏付けなくして発展することは出来ないのだ。