一般財団法人 野萩青少年育成財団
記事一覧に戻る

2003年の日記から―72

2026-05-11 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

昔書いた日記からいくつかアップします。

 

 

2003-2-2
タントリック・ヨーガ-7 性瑜伽の導入-4


ヒンドゥーとの習合段階に突入した仏教は、何とか多少息を吹き返したものの、本質的な部分での変化がなかったために、真の改革にはならなかった。つまりヒンドゥーの模倣からは創造性のある新しいものが生れず、差別化に繋がらなかったのだ。


その後も仏教はタントリズムの教義体系を積極的に受け入れることでさらに密教化しゆく。密教化した仏教は、真言・陀羅尼、印契、観想、仏像等を用いて格調高い様式化の元で修行の目的を達成しようとした。その頃から修行体系と理論体系の整合性を図る努力と然るべき経典の確立が課題になっていたが、実際の呪術的な行法に、佛の名を冠した高尚な理論を配するのにはかなりの時間を要した。

 

そして7世紀ついに成立したのが、説法者に法身佛の大日如来・毘盧遮那佛を配した体系的な密教経典として名高い大日経、金剛頂経等だった。(大日経と金剛頂経は根本的に異なった思想背景を持つ。詳しくは書かないが、大日経のインドに於ける経典としての寿命は短かった。インドでは日本の様にこれらふたつの経典に同等の価値は与えられなかった。)そして、経典と共に宗教体験の絶対世界を象徴的に表現する曼荼羅が生み出される。しかしそれでも未だ、仏教は独自のオリジナリティを持つ事が出来ず、ヒンドゥーとの差別化が充分できていなかった。


そしてついに仏教はヒンドゥーですら試みなかった性瑜伽との全面的な融合へと踏み出す。その予兆は理趣経であり、さらに密教の最終兵器たる秘密集会タントラの登場へと突き進んでいく。(その背景には、ヒンドゥーに加えて、7世紀に台頭した圧倒的な熱気を持ったイスラムの驚異の前で、仏教がさらに劣勢に陥ったことも理由に挙げられよう。)
 


元記事