一般財団法人 野萩青少年育成財団
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2003年の日記から―70

2026-05-09 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

昔書いた日記からいくつかアップします。

 

 

2003-2-2
タントリック・ヨーガ-7 性瑜伽の導入-1


釈迦に始まる戒律厳しき仏教に何故性瑜伽の発想が導入されたのか。タントラといえば日本でも西欧でも一般にチベット密教的なイメージが広まっているようだが、それは単にチベット密教の視覚に訴える芸術性豊かなイメージが先行しているからだと思われる。本来のタントラの伝承は文字通り秘教的なものであったためチベット密教ほどに大衆的なものではなかったし、その実際もほとんど謎に包まれている。


チベット密教のベースとなっている瑜伽系タントラ(瑜伽タントラ・無上瑜伽タントラ)とタントリック・ヨーガの成立とでは歴史的にみてどちらが先かは明白だ。恐らく500年以上はタントリック・ヨーガのほうが先行している事だろう。

 

つまり瑜伽系タントラの成立は、当時消え行く寸前にまで衰退していたインド仏教が生き残りをかけてやむなく性瑜伽の技法を取り入れたことに起因するといってよい。このあたりの背景を正しく理解しないとタントラ=チベット密教という図式だけに支配されてしまう。

 

むしろ仏教と性瑜伽が合体したのは、インドではかなり後世の事であり、仏教の進化過程で従来の様に長い年月をかけ綿密な議論を積み上げた上で必然的に到達した姿ではないということだ。読者には何故その様な事が言えるのかと訝しく思われる方もいるかもしれないが、それは秘密集会タントラ成立後のインド・チベット仏教界の苦悩をみれば一目瞭然だ。釈迦の時代から受け継がれてきた戒律とサンガの在り方、解脱論等々との理論的な整合性が取れずに、かえってインド仏教自体の自滅を早めたといえよう。

 

チベットでは、その後紆余屈折しながら、ツォンカパ(1357-1419)によってこの問題に一定の解決が図られたが、経典の成立から700年以上要したことを見ても、如何に克服するのが困難だったかが窺がえる。
 


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