2026-05-23 著者:小山一夫
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昔書いた日記からいくつかアップします。
2003-2-12
タントリック・ヨーガ-17 ツォンカパ
レッド・タントリック・ヨーガはあくまで性瑜伽の実践を前提として構成された技法体系なのだ。それを観想だけで行なうのは最初から不可能であり、全く意味をなさない。もしも戒律などとの整合性をとるのならば、始めからホワイト・タントリック・ヨーガを採用すべきだろう。その辺りがチベット密教(戒律に厳格な派について)の根本的な問題なのではないだろうか。
その意味では、ツォンカパの結論は(理論と実践方法の矛盾により)本来の修行としての有効性を欠くものであった様に思えてならないのだ。ヨーガは何度も繰り返すが、あくまでも道具に過ぎない。ツォンカパの例をみると、道具とその使用目的が適合していない様に感じる。
<参考>
近年の研究では、生起次第と究竟次第はインドに於いて別々に確立されたと言われている。チベット密教でも当初はいずれか一方を選んで実践していたようだが、それこそが本来の姿ではないだろうか。つまり密教教理の影響下にある生起次第と実践的なレッド・タントリック・ヨーガの色彩が強い究竟次第は、本質的に別けて位置付けられるべきだなのだ。
タントリック・ヨーガの解説が14回目になったが、次に中国道家の房中術との対比を経て本題のホワイト・タントリック・ヨーガに進みたい。そこまでゆけば、今までチベット密教に言及してきた理由もわかることだろう。(チベット密教については具体的な行法部分で書きたいことがまだ沢山あるが一応この辺りで一区切りつける事にする)