一般財団法人 野萩青少年育成財団
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釈迦の悟り―9

2026-07-17 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

昔書いた日記からいくつかアップします。

 

 

究極の悟りについて


「究極の悟り」とは何でしょうか。


悟りには段階があります。
神秘的体験をする事が悟りだと誤解している人が少なくありませんが、問題はそれらの体験から「何を学んだか」なのです。


ところで、絶対光との合一・部分融合によって、貴方はまさに希有な体験を果すでしょう。しかし、其れですらゴールではありません。つまり最終解脱などというものは肉体を以ってしては絶対に不可能なのです。


この場合、涅槃に入るのは自らの意志で先送りとなります。
絶対光との合一によって、「SPIRIT」と「SOUL」はより高い極みに至ります。


一般に「霊魂」と言う場合、恰も一つに思われがちですが、実際には、古神道の説くように、一つの霊と、四つの魂(「一霊四魂」と言います)に分かれます。この点につきましては、古神道の霊魂論が最も優れていると言えます。


霊とは、「直霊」(ナオヒ)を指し、魂とは「荒魂」(アラミタマ)「奇魂」(クシミタマ)「幸魂」(サチミタマ)「和魂」(ニギミタマ)に分かれます。私は通常、この様な話題を避けていますが、「浄化・洗礼・祓い」を語る場合、どうしても霊魂論に触れなければなりません。


前述の「絶対光」は古神道で言えば「神直霊・大直霊」に相当します。
つまり人間の持つ「直霊」は、この「神直霊・大直霊」の分霊(ワケミタマ)として授かったものであり本質的には同様の質を有します。しかし、日常生活を通して日々穢れを積み重ねる為に、段々と光を失い、汚れてゆきます。そうなりますと、もはや絶対光との合一は出来ません。

故に、穢れを祓い、授かったときと同じ、本来の清い「直霊」になることが望まれます。そうして初めて、絶対光たる、「神直霊・大直霊」と合一、融合する事が出来るのです。その為に古神道では霊魂の浄化を目的とした「幽の祓い」が、もっとも大事な神事として位置付けられているのです。


では、どうすれば穢れを祓う事が出来るのでしょうか。インド的に言えばカルマということになりますが、つもり積もったカルマをどうすれば祓う事が出来るのか、その答えが、「各次元毎のクンダリーニの覚醒」なのです。

 

では、穢れに塗れるのは人間だけでしょうか?

 

古神道では、地球も、宇宙も「一霊四魂」を有しています。様々な理由から、それらも穢れを受けてしまうのです。
地球も人間と同じく、顕体・幽体・霊体・元体を有しますが、例えば、様々な環境汚染は顕体を穢し、戦争で死んだ人々の残留思念等は幽体を穢します。それらは、霊体・元体へも影響を与え、大自然の生成化育の営みをも損なうのです。そして其れにより異常気象・天変地異・環境汚染・人心の荒廃と狂気・戦争などが起きる場合もあります。


人間の犯した罪で地球が穢れると、その穢れは人間の未来にそのまま降りかかってくるのです。其れゆえ、定期的に、或いは、必要に応じてそれぞれのカテゴリー別に「洗礼者」が出現するわけです。科学者、哲学者、思想家、芸術家、政治家などが様々な分野において活動をします。此れからの時代、誰かがその「洗礼者」にならなければなりませんが、此れほど穢れが加速度的に進んでしまいますと、とても容易に浄化できるものではありません。でも、誰かがやらなければならないはずです。人類の明るい未来の為にも。

小乗も大乗も単なる乗り物に過ぎません。宗教分野に限っていっても、「悟り」を個人の自己満足で終わらせる事に、果してどれほどの意味があるのでしょうか。このあたりで、既成概念にとらわれた此れまでの発想を、大胆に変えるべきでしょう。過去の宗教が、結局何をもたらしたか、改めて検証すべきです。私は科学者、哲学者、思想家、芸術家、政治家を始め多くの人達がそれぞれのフィールドに於いて、大乗的な発想でポジティブに活動して欲しいと願っています。人間は自らの置かれた立場で最善を尽くせばよいのですから。
 


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