一般財団法人 野萩青少年育成財団
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2003年の日記から―113

2026-06-30 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

昔書いた日記からいくつかアップします。

 


2003-6-16
勁と力-1


前述の笠尾氏によれば、発勁という言葉は比較的新しい武術用語だという。
勁という語は歴史的に見て、孫子に「勁者は先んじ、疲者は後る」(軍争篇)とあるように、新しい語ではない。武術では古くから弓に関連付けて使われていたそうだ。(「発勁の秘伝と極意」BABジャパン)


さて、AD100年頃の「説文解字」によると、「勁彊也」「从力」「坙聲」とある。読み下すと、まず「勁は彊なり、力にしたがう」。


彊(キョウ)とは「強い弓」「強さ」を意味する。だから弓に関連付けて使われるのは当然だといえる。次の「力にしたがう」だが、この「从」は元々人が2人並んでいるの意である。つまり並列であって、包含されるという意味ではない。だから、力と勁は並び立つポジションにあるのであって完全にイコールだと解釈するのは適切ではない。


面白いのは、次の「聲」だ。これは声、音、響き、振動などの意味がある。そして「坙」は水に関係する。このあたりは発勁を考える時に、何とも符合する暗示ではないだろうか。感覚的には、「水の振動によって伝わる強い力」という解釈があってもいいだろう。

 

先の王西安老師の言うように、「中気が骨の中に入る感じが生まれ、外から見ると柔らかいが中は強い」状態、つまり、勁は骨髄の中を力強い振動が伝わってゆく様に発現されてゆくのではないだろうか。或いは、振動が伝わる事によって力強さが生じてゆくというべきか。


さらに、「从力」と「強い弓」だが、当然、外部に形として現れるためには「力」が必要だし、それは「強い弓」が放たれるような勢いを持つだろう。ここで考えなければならないのは、「力」との違いだ。


「力」は、「説文解字」では「力筋也」と明快に定義している。これは「力」は筋肉から発せられるという事であり、ここに於いて、「勁」とは別意である事がわかるだろう。結論をいえば、力は筋肉より生じ、勁は中気が骨髄を伝わって放たれるものなのだ。


「勁力」という場合、その両者が融合して発揮されるパワーを意味する。骨を抜いたら人間は立つ事も出来ないが、筋肉がなければ動く事は出来ない。この両者は共に必要なのはいうまでもないが、もうひとつここで抑えておきたいのは、「坙聲」だ。声は呼吸なくして発する事は出来ない。「勁」には呼吸の暗示もあるということだ。そこで「力」だが、この「筋」には呼吸筋も重要な意味をもつ。「从力」という場合のバインダーはまさにこの「呼吸」ではないだろうか。発勁と発力の違いはこのあたりのことを意識して考察すると面白い。つまり主従の関係をどう捉えるかという事だ。 
 


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