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「炬」おしゃべり  運とは何か-3

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2023-07-08

 

今日現在は昨日までの結果であり、畠に何も蒔いておかなければこそ、今になって収穫が無い様に、又、畠に大根を蒔けば大根。人参を蒔けば人参が出る様に、はっきりと、その通りの結果が出て、偉い人が種蒔いたから大根が人参に変ったと云ふこともない。

これが天地神明の理方であり、佛法の説く因果なのである。
 

今更 私は運が悪るい と云ふ事は今まで出鱈目だったのですと告白することになる。

それは、他の人と同じ五体、同じく一日は二十四時間として持ち乍ら、それを有効に使ったか、否かの結果が今、自分に示されたのであって不可抗力の場合を除いて他人の故ではない。

若し失敗したのなら、自分の「はこび」に失敗の原因がある筈である。

天変地異に依って齎らされた事なら致し方無いが、事、人為的に行はれたものであるなら、必ず原因があり、若しそれを「知らなかった」と云ふのなら、その人の不注意と云ふ「はこび」の結果であり、或は、斯くなれかしと、希望的観測で、又は無理を承知で押し通す人もあるのだから、それでは、「はこび」と云ふ天地の理方を知らない甘い考へとも云へやう。

或は無理押しして失敗せずに済んだと云ふなら、その危険を防護して居たなにものかが有ったに相違ない。それは、他の条件が加味されて偶然となったか、或は協力をした人があるに違ひない。

形に表はれて居る人か、形に現はれて居ない世の時の風潮の様なのも、偶然失敗すべきものをも成功させて居るからである。

これを明確に知って掴んでおかぬと、失敗する。


 

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