昔、寒い夜中、多摩川の大橋を歩るいていたら、前方から、随分 賑やかに語り合ひ乍ら人が来るのです。すれ違ってみると、只一人なのです。いろいろの聲色で一人で喋っているのでした。あとで医師にききましたら、独言症と云ふ精神科の患者だそうです。私の云ふのは 此の独言症ではありません、こんなになったら 大変です。
聲、こゑ、聲と云ふ字にとらはれるから説明し憎い。
自分の言葉 かな、いや、矢張り違ふ。言葉と云ふ形でないから、矢張り聲だ、とにかく、腹の中で、胸の中でもよい、聲のないこゑがあるんてます。聞いたことがありますか。
"お前は可哀そうだな"と腹の底からの聲にガラス戸の外、雨に濡れている八ッ手の葉を見たら、突然大聲で泣き出した事があります。昔の昔 本ばかり嚙って母と兄から家を追ひ出された頃。
先生‼︎先生の云はれた通り、仕事に行詰ると山の湯に行くんです。其処で、一日二日ぼんやり何もかも忘れるんです。「斯ふしれ、斯ふだぞ」と自分の聲をきくと、すぐ東京に帰って、バタバタ其の通りにやって終ふんです。全部ウマク行きますね」と云った人があります。
悟ったなと思ひます。
その聲こそ、私が常に云ふ「自性の聲」と云ふんです。
