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「炬」おしゃべり 「強剛」と云ふこと

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2024-03-31

 

人には、理屈を一應云って威張らぬと気が済まぬ者がある。

こんなのは、強と剛と云ふ。こんな奴等には謙と辞とで應ぜねばならぬ。これは当方の卑屈ではない。云ひ争っても何の利益にならぬし、若し云ひ争っても先方が心服するとは思はれない。
 

大体、強剛で理屈を云って来られるのは 当方にまだ相手を無言で居られるべき「徳」が出来ていないと悟るべきである。
 

即ち、謙と辞で応じて只、成る程成る程と感心して承るべきである。途中で何んだこんな理屈と思っても 決して顔に出してはいけない。十の十まで我慢せねばならぬ、充分喋らせて終ふのだ。そして、相手の考へを十二分に拝見すればよい。そして成る程、その通りでございます と云へば「若月さんて、偉い人だ、判ってくれた。俺の云ふことを理解するなんて、なかなか学問のある人だ」になって終ふのである。
 

斯ふ云ふ事にぶつかった経験は山程ある。その時いやそれは違ふ と云ひ争ったらどふなるのだ、下らない奴に、「若月は馬鹿だ」と云はれて終ふ。強と剛に喋らせて、終るのを待てばよい。


或る日、釈迦の前に波羅門が来て、散々悪口を云った。

釈迦は静かに聞き終って、笑ひ乍ら云った。「お前さんは他家を訪問する時、お土産を持って行くだろふ。相手が受け取らなかったらどうするかな。」「勿論、持って帰る」「それなら今、お前が云った言葉は、俺は受け取らぬ、お前自身のものだ 持って帰りなさい」と云ったと云ふ。
 

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