こんな風に考へると性命はいろいろの形に現はれて終ひます。
蓼喰ふ蟲も好き不好きと申しますが、本当にそうなんです。その人の一生を眺めてみると、本当は全部が性命の現はれなのです、三つ子の魂、百までもとも云ひますが、これは三つ四つの頃付けられた習慣は死ぬまでのものだと云ふ事でもあるし、三つ四つの頃現はれる根情性命は一生を形づけるものであると云ふ事なんです。
「宿命」のところでは、性命と云ふものは四囲の因縁から常に圧迫されてゐると申しましたし、「皷を脱ぐ」では、生活の為に性命が圧死されそうだとも申しましたが、本當は、人生の一生は性命と因縁の闘争の記録ではないか、と申したいのです、
四囲の状況に対して、誰の性命力も常に勝とうとし、又、打ち勝つ為に怒ったり、怒鳴ったり、悩んだり、悲しみ苦しみ、そして、それなりの生活と營み出しその中に性命を少しづつ伸はし、満足させて来てゐるのです、
