自分の本来の性命をはっきり掴むことが悟り、見性であって、その性命の生活に踏み出す事を出家(カラから出離することで、世俗を捨てて坊主になることではない)と云ふのです、
私の出家と云ふ解釋はこれでこの事は十九の初発心で禪に這入った頃から、気付いてゐた事、確信となるまで尚ほ二十年を要しました。見性なければ出家なく、性命を掴まなければ本当の自己は存在しないとまで考へて、これを申します。
さて、私は、兄四人と、同じ環境と、同じ躾けが與へられたのですが、現在では、全部違った生活様式をして居ります、因縁に依りその様になった、それもありませうが、根本は、それそれの根情のままになった。性命の差がそのまま現はれたと申せましょう、
親が芸術家として成功したから子供に芸術家としての才能がある、性命があるとは申されません、
