此の奌で、私の少年時代青年時代も實に不幸でした。親父は親父の好な様に私にペンキを塗り付け、親父が死ぬと、兄貴達に制御されました。英語をやれ!!夜中の二時三時に叩き起されて、さっきやったのを、そらで書いてみろ!!出来ないとポカリ。口惜しくて怒り出すと、アッチヤン野郎はワガママダ!!怒りん坊だ!!三日坊主メ、今思ひ出しても口惜しい。
實に「ミジメ」でした。それで殻ばかりが厚くなって、苦勞したんです。
私は納得行くまで考へる、やってみるくせが有って、漸く、「汝未生以前の汝」が此処まで私を「生かしてくれた」事を気付いたのです。
「本当の自分の逢へた。自分の目性が居たったんだ」
そして、それまでにしてくれた過去四十年の因縁と、因縁となって存在してゐた數多くの四囲の人達に、「本当に有難ふございました!!と心から頭をさげ、又、此の自分自身を自分乍ら可愛くなった事があります。それは、人形町に住んで、町の騒音に神経衰弱気味になって、本郷のアパートを借りて人形町に通った頃、朝、六時頃から、東大構内の三四郎池の藤柵の下で、毎日、靜かに水の面を眺め乍ら、坐禪を組んでゐる頃でした。
