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「炬」おしゃべり  『性命』と云ふこと 19

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2024-10-05

 

 私達も現在生きて居ることは、矢張り釈迦と同じに幾世代も生き続けて来た生命の現在なのですから、私達にも燻習された種子がある筈です。


 私はよく戯談に云ふんです、僕はね、現在斯ふ生きる前には何をしてゐたんでせうね、きっと、最初はインドに生れたのさ、百世代も前位いに、生れかはった數で百遍位い前にね、インドては何とやってゐたかは判らない、でも現世ては佛教を教へられ学んだんだから、その頃は佛教も耳にしてゐたのかも知れません。


 五十世代位い過ぎて、きっと、支那だね、春秋戰国時代かな?戰爭して勝ったり負けたり、殺したり殺ろされたり、その大海の泡の一粒だったかも知れません、


 其の時は、王様だったか、一兵卒だったか、兎に角戰爭のヤアヤアの中に居たのかも知れません、なぜなら、此の頃の燻習のせいか、幼い時から兵書を讀まされ、戰爭戰爭でチヤンチヤンバラバラで育てられてしまった。日本文学、古典も習ったけれど、徒然草が誰の作か、増鏡大鏡か何か、忘れて終って、日本書紀だけが頭に残って居るのも漢文のせいか、兎に角頭の中がチヤン〇〇かも知れない、終戰の時、シンガポールの支那人達が、本当にトアン(旦那のこと)は日本人あるか、逃げるよろしいと気をもんでくれた。
 

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