若月佑孔の記事一覧

「炬」おしゃべり  『性命』と云ふこと 20

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2024-10-06

 

 廿世代前頃から、日本に生れたらしい、支那大陸から、海路日本へ、海賊だったか、佐渡の金貰ひに来た奴の落し種だったか、兎に角生命は富山か福井あたりに上陸したんでせう、と云ふのは、妙に今でも富山の方の人と縁があって、親しめる、奈良京都其から南の方には縁がないし、ピタリと親しめない。で、福井邊をウロウロした世代もあったんでせう、坊主になったり、工人になったり、石屋になったり、ヨロメイたり、ころがったり、花のお江戸でも暮した世代があったのでせう、田楽みたいに二本差しの時もあったろうし、頭を剃ってヤブ医者の時も、馬子も土方の時も、或ひはお殿様だったか、浪人で易者もやいて、兩国は本所に住んだかも知れない、


 歷史はくり返す、因縁もくり返すだから、と自嘲して笑ひます。その間に、心にしみて、幾世代か同じく経験したものが有ったでせうか、お釈迦様の様に三千億世代も一つの重ねて持ってはゐないが、私も私なりに何か一つ、ささやか乍ら持って居たに相違ありません。


 貴方だって、今、初めて此の世に現出したのではありません、受け継ぎ受けた生命なのですから、「習はずに持ってゐるもの」「性命」が有る筈です、これこそ、生れて、初めて「先生に習ふもの」より深い経驗なのです、只、形になってゐません。がそれが機会を與へられ、發揮させられると、「天才」になるのです、


 又、普段の生活では、この性命は、心の中で重心となり、善悪判断の活動源となり、因縁の殼に打ち勝って伸びやうとします。


 一寸の蟲にも五分の魂なら、どんな人にも一人前の性命が働いてゐる筈です。
 

元の記事