ツンツツ、テン、ツツンテン、ツンテテツンと新内も好いものだ。心の底からじーんと涙が湧きあがる涙だ、悲しみを押へた、せつない!!せつない、せつない、せつない、あっ何とも出来ぬ恋のもだえ、義理と人情の浮き世の悲しみ、それが三本の糸にのると斯うなるのだ。
口舌にもいれてゐる二人、一寸したつまらない口爭ひから初まって、今にも大きな聲が出そうになる、こんな時、チンチンツツンと、新内も泣き乍ら、窓の傍に寄そって来る、恒の向ふを過ぎて行く。いつか爭ひも涙になって終るのだ。
新内流しが流行した頃は、その哀調にさそはれて、心中が沢山あったとか、深川あたりだろう。新内は本当の庶民の音楽だ。御神楽のバオバヤシは農民のリズムだ。共に純粋のものである。
下町の職人達、その中から湧き上ったリズムは新内である、地位も名誉も金も捨てても、尚ほ義理と情けは切れない苦しい世の中で赤々裸々に男と女のぶつかり合いの悲しいもだえ、義理と人情のしがらみの温さ、冷めたさ、それはあの、充分鳴らし切らずに押へる糸と指先きのさばきよりも、涙に乗って調べ出されたものである。
義太夫は上下を着て、薪絵の見台に向う。新内は着流し草履ばきでひっそりと軒の下に立ち、ささやく様に。又、舟に乗って窓の下に漕ぎ寄せて来る。
何時か、言った事がある。「長唄は赤坂、清元は新橋、小唄は浜町、新内は深川」と。清元と長唄の師匠が「うまい表現ですね。と賛成してくれた事がある。
俺は新内が好きだ。あの庶民の音楽、そして低い社会での義理のもつれ、詳はらぬ人情の叫び、大聲で叫けばぬ哀々切切のすゝり泣き、然し、余り悲しすぎはせぬか。
