今までは、ちょっと苦しければ相談、迷えば相談、行づまれは相談、人ばかり頼って、甘やかされ様として、苦しみ乍ら、自己辯護して居なかったか?
さあ!!今度は自分の頭で狂うまで考へろ、苦しめ苦しめ、考へることを一つにして、考へよ、考へよ、考えて、行き詰るなら、行ぎ詰れ、その行きづまった形に行き付いたら、「俺はこうする!!」と自然に解決が出来て来てゐるのだ。
これが本当の悟りなんだ、その時現在の、貴方の貴方の悟りなんだ。自分が自分を知った事だ。
だから、他人の悟りの本なんが讀んだって無駄だ、「判った」と思ったら、俺の前に来て坐れ、俺は目を見てやる、本当に『俺はこうだ、斯ふするんだ!!』と覚悟の付いた奴の眼は、輝いて、落付いて強くなってゐる。ソレの出来てない奴の眼は俺は見られるとキヨロキヨロするからすく判る。
此の「死にもの狂い」で考へよ度胸のない者こそ、アチコチに相談を引きづいて泣きつくのだ。それにも、本心、本当の事情をあからさまに出さないで相談に行き、失敗し乍ら、自己辯護をやってゐる。ゴマカシの上塗りを仕度いのだ。何処にも徹底してゐない。
此の不徹底で、お上手ゴカシで仕事、商賣事業をやるから、失敗せずにはゐない。失敗すると、尚ほ自分を立派に見せたいから、尚ほ苦しくなるんだ。
だから、俺はその人物を、その人物の持つその苦しみの坩堝の中に押し込んでやるのだ、そして、自分の苦しみの火で焼かれ、焚かれ最後に残った眞正面の、本当の自分を掴ませるのだ、
その人物が、本当に自己を掴んだ時は、傍で一目見て判る。態度がピンとなる、コハイ顔をしてゐるよ。
