家から出る、もう夫ではない。会社まで家庭の感念を引きづって行けるか、女房の事を考へ、子供と一緒に居る気持なら大変さ。会社では、社長さんだろう、社員だろう、小便ひさんだろう、只それだけさ、夫ではない、男でもない、働き蟻みたいに中性だ。
ところが、家庭と職場を離れると男なんだ。ア〜コリヤア〜コリヤの時は男を通り越して、動物になり切ってゐるときもある。
こんな、男になり切って居るときこそ、よろめくのである。その材料がいくらでも、ころがっているからネ、
とてもとても自家用のとは違って、アナタッーなんて怖い顔もしないし、綺麗にして、好いね、さて、それが女だからよろめくのである。
女になってみせるからよろめくのである。
相手が、奥様としてピンとして應対してくれれば決してよろめかない。どこまでも女事務員として出て来れはよろめけない。娘さんらしく構えてゐればよろめけない。芸者が私は芸者ですとして居れば決してよろめく気がしないものである。
だが、人妻としてのベール、事務員としての殻娘としてのほこらしさ、芸者としての商賣気を捨てて女として現はしたら、もうダメ。貴女もそうだ。貴女が奥様として立派なら、よい旦那様なんだ。
人間の相対性原理、アインシュタインも知らんだろ、妻として、アナターになり切れば、夫は男になる、妻もその時、「女」になり切ればよいのに、「私は一家の主婦ざます」これでは面白くもない。
男になり切り、女になり切れない人は不幸だ。聖人振ったその面相や態度は邪魔にならんのかね君。
