或る婦人は、書道を二十年近くも習って、實に見事な字を書きなさる、先生から與えられたお手本と同じである、然し、自分の字ではない。遂々自分らしい字を持って居ない。そして先生から與えられる字と同じものを書く「靜寂」の境地を楽しんでゐるのである。
「習うこと」を續けることは尊い。「靜寂」を味ふ為に書道もよい事であろふ、然し、自己が生きねば淋しい。「起承転結」と云うことがある、字を書くにも大切なものである、第一筆のつけ初めそれを第二筆で受ける、それからすべるすべる、これが転、そして止る。結である。これが一気に行はれなければ良い字とは云はれぬ。模寫やお手本相手では、此の起承転結が行はれるものではない。
起が結を約束する、それが一気に承転と行はれなければ生きた字にならぬ。途中で休んだり止まっては死んだ字である。
これを俺は「勢」と云う、この勢と云ふことは、「魚川老人」から與えられた言葉から考へ付いた「誡」なのである。
十年も昔のこと、越後の小出の町を「達磨觀法」の旗を持ってブラブラ、或る商家が品物を並べずに、棚やガラス戸棚の中にいろいろの川石を並べてあった。
おや、石に趣味の人が居るらしいと、通り過ぎてみたが気に掛って引返して、「石を拝見させて頂きます」と這入り込むと、奥から上品な小柄なおじいさんが現はれて、一見俺を見るなり、「どうぞどうぞ奥へお這りなさい。よくござらしやった、さあさあ」と手を引かんばかりに裏の離れ家の二階に引っ張り上げて終った。
「昔の女郎は、本当のなじみ来ると、居で商賣せずに自分の部屋に連れ込んだものさ。あんたは、初対面だか、私にとっては、「なじみ」なんだ、今夜は泊ってゆっくり話して行け」なのである。
初対面から、ヂヂイに惚れられたのにはびっくりしたが、それより驚ろいたのには、部屋中に良寛の字が沢山ある、それも皆、眞新らしい紙である。
「コレか、みんな俺の書いたもんぢや、道具屋が来ての、無理に買って行って表装してから、安線香で三日三晩くすべると時代色が付いて、「ほんもの」になるワイ、俺は良寛の字が好きで書くだけだ、本物を作るのは道具屋なのだ」なのである、
